[ ]ディアパソンピアノの歴史
浜松が終戦直前にアメリカ軍の艦砲射撃で焼野が原にされた中で、ヤマハの技術部長であった大橋幡岩氏が、ヨーロッパのピアノの負けないピアノを作るという目標で終戦直後の1948年に製作したアップライトピアノがディアパソンの第一号になります。
弊社に来店された大橋幡岩氏の弟子だった乗松氏
カワイの竜洋工場でディアパソンの調整中の乗松氏(今は退職)
大橋幡岩氏の弟子だった乗松さんの話
今のピアノの設計はコンピューターで行うけど、大橋氏は当時からピアノ全体を理解していた、もう大橋氏のようにピアノ全体を理解している人は浜松にはいないとのことでした。
最近になってディアパソンはカワイ楽器の一部門になりましたが、根強いファンのために月産2~3台の少量生産ですが大切に生産されています。
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